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夏休みの二つ

ニイニイゼミの鳴き声で夏休みが始まったが、もうウスバキトンボが飛び始め、夏休みの終わりが近いことを教えてくれています。

この夏休みに、二つの子ども行事を行いました。一つは箸作り、プラム工芸の五角箸作り体験です。先人が長い歳月にわたり育てたオノオレカンバの木、親子でその堅い箸材の磨きをし、焼きペンを使って模様をつけ、胡桃オイルを塗って仕上げます。時をくぐり抜けてきた古民家の元馬小屋で、北上山地の風雪に耐えて育った木と対話しながらの作業です。昔の時とつながっている今、昔の人とつながっている今、小学校の上級生ぐらいになると、今は昔と連続でつながっていることがわかり、時を感じ楽しみながら箸を作ることができました。

もう一つは七夕です。今は新暦の7月7日の梅雨のさ中にやりますが、本来七夕は、空も空気も澄む秋の行事です。旧暦の七月七日に親子で、短冊に願い事を書き、それを青竹に飾り付け、「たなばたさま」を歌い、カレーを食べて初秋の夕べを過ごしました。ちょうど雲間から舟形の七日の月が顔を出していました。やさしい光で地上のものたちをあまねく照らしだしています。

箸作りや七夕飾りに、時に真剣に向き合い、時に笑い楽しんでいる子ども達。兄弟げんかをし、小さい子の面倒を見、庭の花を摘み虫を取り、食器を運ぶお手伝いをする子どもたち。二つの夏休みの催しを終え、大人も子どもも、ここで寺子屋ができたらいいな、学校の教育の場だけではない学びの場、地方だからこそここかしこにそれが今ほしい、と夢想しています。

10月21日(日)、十三夜の月待ちをします。今回は、にのへ音楽院の桂史子先生をお迎えして、ピアノ演奏も楽しみます。詳しくはメールにてお問い合わせください。
メール:jomon.uzumakisha@gmail.com

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北上川源流2

かつて、関東平野を流れる荒川と千曲川(信濃川)の源流を訪ねたことがあります。荒川は私の故郷の川、信濃川は父母の故郷の川です。標高2475メートルの甲武信ヶ岳(こぶしがだけ)の山頂より少し下がった東斜面に荒川の、西斜面に千曲川の源流がありました。源流と言っても川によって様相は全く異なります。荒川は、シラビソ林の荒れ地からその流れが嚆矢となり太平洋に注ぎます。千曲川は、林道のすぐわきの明るい林の小さな窪地から湧きだした小流れがやがて信濃川となり、日本海に下ります。同じ甲武信ヶ岳の山腹をその源にしながらも、生まれた環境も、川として育つ中流の風景も、たどり着く終着の海も違います。そういう意味で人の一生によく似ています。

北上川の源流はどんなところなのだろうか、想像をめぐらせながら中山高原駅から御堂観音堂を経て、ついでに沼宮内駅まで自転車を走らせることにしました。よく晴れた夏の日、旧奥州街道をゆきます。ほぼ下りの快適な道です。道すがら見渡す限りの高原キャベツ畑がうねる風景は、野辺山や嬬恋の夏のキャベツ畑の風景を彷彿させました。そういえば遠い昔、長野でキャンプしたなと思いだしながら。

途中、一戸町と岩手町の境に、奥州街道の御堂・馬羽松(みどう・まはまつ)一里塚がありました。道を挟んだ二つの塚の木陰と盛土が街道らしい雰囲気を作り出しています。中世や江戸時代、道中の人々や牛馬がここで高原の景色を前にして一服したのか、茶屋などもあったんだろうな、そんなありし日の感懐に浸りながら、さらに涼風を受けて下ると、御堂観音堂がありました。案内板によると境内に弓弭(ゆはず)の泉があり、どうやらそこが北上川の源泉ということでした。

お堂の急な階段を上った奥に大杉が立っていました。その根元の暗黒から北上川は生まれていました。源流というと山奥のイメージを持っていましたが、意外と街道脇の人里に近いところから湧き出ていました。北上川の源流は、奥州街道を行き来する旅人にも愛されたどこか人間の匂いのする泉だったのです。

さらに下って国道4号に出て無人の御堂駅に立ち寄り、さらに脇道に入り沼宮内城跡に寄り道して沼宮内駅にたどり着きました。暑い日でしたが高原の風がするりと体を吹き抜けてゆく気持ちのよい自転車日和でした。今度は馬渕川の源流が見たくなりました。いつの日か安家(あっか)森や袖山高原を訪ねてみたい。

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北上川源流1

旧暦六月の満月だからでしょうか、赤トンボの羽化が一斉に始まりました。たぶんアキアカネだと思います。毎年、おそらく100匹以上の数の赤トンボが田んぼから湧いて出てきます。湧く、という表現がぴったりするほど、青年にまで育った稲のあちこちに、抜け殻に捕まった赤とんぼがじっと息をひそめています。近づけば、ひらひらとまるで蝶のように心もとなく飛んで、また近くの稲に捕まります。可愛いものです。この赤トンボのふる里が私の田んぼだと思うと、すこし胸を張りたくなります。全くの自己満足と言えますが。

思えば赤トンボのために苗消毒もせずに除草剤もカメムシ防除剤も撒かずに、お米を作っているようなものです。よく趣味だからできるんだよ、と言われます。その通りです。たかだか1反半ほどの田んぼだからできるのです。何事も魁より始めよ、で無農薬で米野菜を作り続けて4年目になりました。でもそのことによって、苦労も多いのです。田んぼではまずイネドロオイムシの大量発生です。苗を植えて2週間目ごろから、這い上がってきたドロオイムシが苗を齧ります。苗は黄色く白く変色し、絣模様になって、見るからに貧相です。ちゃんと育つのか心配になります。胡桃や空木の葉で虫を払います、何度も。そして、待ちます。ことを尽くして待ちます。そのうちに苗は元気になって、茎が分けつして青い葉が伸びてきます。そうなれば他の田んぼと遜色がないくらいになります。いつの間にかドロオイムシの姿も見えなくなります。成虫になったのでしょう。この後も穂が出るころにカメムシが、実りのころにイネコウジカビがつき苦労は続きますが、数はそう多くはなく、手でひとつひとつ取り除けば事なきを得ます。

さて、この里の空が赤トンボの群れで真っ赤に染まる風景を夢見て、日々、除草機を転がし、手で草を取り、その合間にドロオイムシを払う、そんな修業がひと月半続いた7月の半ばをもって今年の田草取りの目途がつきましたので、骨休めに啄木や賢治も親しんだ北上川、その源流を訪ねることにしました。(つづく)

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