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田畑を仕舞う

田仕舞い、畑仕舞いについて、書かないわけにはゆきません。多くの恵みを贈与して下さった田の神、畑の神が山に帰る前に、感謝の口上を述べねばなりません。それが礼儀というものです。

感謝の筆頭は、お米が実ったことです。「無農薬で米作りは無理、まあやってみな。」という声もありましたが、できたのです。ただ、除草剤を使わなかった分、草取りが半端ではありませんでした。米作りの苦労が身に染みてわかりました。

米作りというけれど、これは最近の言い回しで、米が実る、米ができる、と言っていました。米は、土や水なども含め、お天道様の自然が作るもので、人はその手助けをするにすぎません。早苗が伸び成長し、穂が出て色づき成熟する姿を見ていると、そのことをほんとうに実感します。

ナス、トマト、キュウリ、ピーマンなどの夏野菜もたくさん取れ、食卓に色を添えました。ナスがおいしかった。真黒茄子というナスは、身はしまっているのに柔らかい、わたの食感に魅了されました。民田茄子という小ナスは、噛めば緻密でなめらかなわたの味が広がってきます。茄子のわたのおいしさを、あらためて発見しました。

小豆や大豆岩手中生のそばも収穫し、種を引き継ぐことができました。高黍はたくさん取れました。お天道様のお蔭で、手をあまりかけなくても恵みを与えてくださるのは、ありがたいことです。

すでに借りた田や畑は、刈り入れを終えて整え、持ち主に返しました。来年も、自然と闘い制圧するのではなく、あくまでも田の神、畑の神に跪(ひざまず)き、かしずく日々でありたい、と願うのです。

今年もたくさん働いてくださった田の神様、畑の神様、どうか山に帰って十分にお休みなされ。そして、雪の布団にほっこりくるまり、安らかな深い眠りについてくだされ。来年もまた神々のお力添えを得て、実り多き時を与えてくだされることを心よりお祈りしております。貧しさゆえ、差し上げられるものは何もないのですが、どうかお許しくだされ。

あとは大根や小松菜や山東菜などの青菜たちが、庭の畑で冬を待つばかりです。先日、その庭や畑に、霜が降りていました。雪と見まがうほど、辺り一面まっ白でした。いや、霜は雪の種、冬の神が雪の種を地上に下ろしにやって来たのです。冬はもう、すぐそこまで来ています。

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十三夜

庭の巨木の桂は、黄葉をすっかり落とし、板矢楓は、黄や朱のもみじ葉をわずかに残しています。秋は成熟を終え、冬に変わろうとしている10月25日の夕刻、十三夜の催しを開きました。

うす暗闇の中、オカリナの演奏が始まりました。オカリナの、土の持つぬくみと素朴な音色に、心はどこまでも優しくなります。小さな楽器なのに、奏でる音は悠久の空や大地を映しだし、しばしおおらかでゆるやかな時の流れに身を委ねます。

そのあと月見饅頭でお茶を飲みました。玄米コーヒーのまるい苦みと、かぼちゃとサツマイモの餡のやさしい甘さに、舌つづみを打ちながら談笑しました。

外はすでに暗くなっています。月見弁当をいただきます。たくさんの品数、どれも野菜や穀物の滋味が、じわりにじみ出るやさしい味です。みなさんの食も進みました。

月が出ている、の声に障子を開けると、流れる雲のまにまに月が顔をのぞかせていました。一瞬、薄月が鏡のように光輝く。その月光をみんなで受け止めます。

いつもいつも厳しさを求められる社会にあって、十三夜のお月様とオカリナとマクロビ料理の、幾重もの優しさにたっぷり浸ることができました。その優しさで心を解きほぐし、また明日への活力とする、そんな時間をみなさんと共有できたことが何よりうれしい。

ひと時であったが、流れる雲間に輝かしい顔を出してくれたお月さん、ありがとう。そしてオカリナを演奏し、月見弁当を作り、しつらいの花を飾り、リンゴや南部せんべいを持ち寄り、お手伝いをしてくれたみなさん、寒い中、集まってくれた27人のみなさんに、ありがとうのお礼を申し上げます。

みなが帰った夜9時、雲に隠れた月を探していると、聞き覚えのある声がしました。クワーク、クワークと声をかけ合いながら、南へ移動しています。コハクチョウが遠くシベリアから渡ってきたのです。十三夜の月夜に、空から冬の使者がやって来ました。

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