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縄文、二ツ森遺跡

 青森県七戸の道の駅で休憩し、そこで道を尋ね、小高い丘の点在するのどかな田園地帯をくねくねと通り過ぎ、いくつかの小川を渡り、さらに田舎道を行くが行くと念願の二ツ森遺跡にたどり着きました。

 でも、二ツ森縄文遺跡といっても何もありません。ただ、看板と広い芝生があるだけです。林の中に蝉が鳴いているどこにでもある夏の景色。整地された芝生のまん中には、竪穴住居がぽつねんと二つありました。中に入ろうとしても鍵がかかっている有様、入れません。今から5000年ほど前の遺跡で人骨や幼犬の骨が見つかっているのに、どんな形で、どの場所で発見されたのでしょうか、実物が見たいものです。遺跡の地に博物館などもなく管理も行き届いていない感じで、わざわざ訪ねていってもちょっとがっかりです。
 それにここに二つだけ竪穴住居を復元した意味が理解できません。教育委員会でしょうか、関係者の情熱や知性が見られないのです。

 でも反面、この手をつけられていないことが却ってよくなる予感がします。何の変哲もない素朴な遺跡だからこそ、そこに原石が眠っていそうです。そんな気がします。特に今は林になっている貝塚の辺りに宝物が眠っていそうです。原石に磨きがかけられれば、将来いい遺跡になる素地は十分にありそうです。そんな気配が漂っています。

 そこで、提案です。田圃や林など、周り一帯の広い空間を遺跡として残してほしいのです。遺跡の一角だけでなく遺跡を包み込む風景全体を保存してほしいと思います。

 その際、小川原湖に続く川や道を一緒に買い取って、散歩道や自転車道として整備してほしいのです。二ツ森遺跡は、海と隣り合わせでした。その頃縄文時代は今より3、4度気温が高めで、海が内陸まで押し寄せていました。いわゆる縄文海進です。海と密接に関係があり、海なくしては二ツ森遺跡は語れません。その海が今は小川原湖になっています。ぜひ、小川原湖の入口まで、おそらく3キロから4キロはあるのでしょうか、そこも含めて遺跡公園として残してほしいと思います。
 
 はるか悠久の彼方の縄文の時代を思い、二ツ森縄文人の暮らしや家族に思いを馳せ、二ツ森から小川原湖に通じる小道をゆるり歩いていると、いつしか自分も縄文時代にいるような錯覚に襲われる、そして縄文の時代と現代とが渾然一体となって溶け合ったそのときに、向こうに湖が見えてくる、まるで縄文の海のように広がりを見せている小川原湖。そんな今につながる縄文の時を感じさせてくれる緑の小道を整備してほしいと思います。

 また、貝塚からでる貝や魚の骨、アサリやハマグリ、シジミ、ウナギ、鯛、平目、スズキ、フグ、サケ等でしょうか、その貝や魚が豊富にいる小川原湖にしてほしいですね。 縄文時代と同じやり方で、湖や川で貝を捕ったり、魚を釣ったり、貝や魚を食べさせてくれるお店もあるといいですね。自然と遊びながら縄文が体験できる公園にしてほしいと思います。七戸町と東北町との連携が不可欠です。

 遺跡の部分だけを残せば良いのではなく、遺跡を含む景色の総体が遺跡なのだ、と家主は考えています。土器や住居跡などももちろん遺跡の大事な要素ですが、それを包み込む森の風景、村の風景がとっても大事だと、かねがね思っています。現代に残す意味はそこにあると思います。発掘の成果を公表してみんなのものにすることは大事ですが、遺跡の復元にそれほど比重を傾けなくても良いのではないでしょうか。想像の部分が多くて、復元はどうも嘘っぽくていただけません。

 二ツ森遺跡は、縄文の風景を大事にした、今までにない夢と発想の新しく大きな公園にしてほしいものです。

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コメント 1

あかねだ

こんにちは。
ぶらりとお邪魔しました。
母親の郷里が三陸海岸沿いの村で、子供時代に遊んだことを思い出します。

ご指摘の点、全くその通りと思います。皆同じような「整備」は、本当に勘弁してもらいたいものです。勿論、やるならここまで・・・というところもみたいのですが。
色々な視点から遺跡を感じてもらえるようなバリエーションをもった整備が近くにある、あるいはそれを補助する(拡張現実とか)を頑張ることができればいいな、と思っています。
by あかねだ (2010-09-05 14:31) 

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